私の両親は2人とも姫路のサ高住でお世話になっており80歳以上で母親は体は元気だが認知症があり、父親は認知症はないが慢性心不全で在宅酸素をしています。時々好きなせんべいスナックをもって行きます(もう塩分どうのこうのというよりは好きなものを食べてもらえばと思っています)。「孝行したいときに親はなし」と私が若いころにはよく聞いた気がしますが最近はめっきり聞かなくなっています。
日本の平均寿命は2022年では男女合わせての統計で84.3歳と堂々世界一です。スイスが2位、韓国3位ですが、イギリス25位(81.4歳)、アメリカはなんと40位(78.5歳)、ロシア驚き97位(73.2歳)となっています。ちなみに1955年(昭和33年)では日本の平均寿命は男性63.6歳、女性67.7歳となっており短期間によくぞここまで伸ばしたものだと思います。高齢者問題を語れるということは実はそれだけの平均寿命の延びが前提であり、大変贅沢な悩みともいえます。
日本では最後の飢饉は天保時代(1830年代)であり、人類の歴史からすると実はついこの間まで飢えに苦しんでいたことになります。日本でも昭和の戦後ぐらいまでは多くの若者が20歳台で結核で喀血して亡くなっていたわけです。人類の歴史はサバイバルの歴史であり、長寿は悲願でもありました。野生動物の脅威から逃れ、気候災害、食料そして感染症などの公衆衛生的な疾病コントロールができてやっと達成できるのですが、ほぼ現代日本ではゴールでしょうか(あまりみんなありがたがっていないようにもみえますが)。
高齢をどう生きるかは、病気があればそれを治療しつつ、社会への参加の仕方などいろいろな選択肢はありますが、もう引退して体も心も惰性で生きていくだけというのはやや残念な選択です。最近読んだ、有名なステイーブン・R・コヴィーと娘の共著「7つの習慣という人生 クレッシェンド」の「自分の最も重要な仕事・貢献は常にまだ先にある」という生き方の提示で大変感銘を受けました(ただ、著者のステイーブン・R・コヴィーが晩年認知症になっていたことはショックでもありました)。今読んでいるのはアーサー・C・ブルックス著の「人生後半の戦略書」でアメリカ的なロジカルかつ現実的ないろいろな提言が興味深いです。私も57歳と昔なら寿命でもおかしくないのですが、せっかく長生きの恩恵を受けている日本に生を受けた以上、十分に生き切らないと御先祖様に申し訳ないと思っています。
とにかく人類の夢がかなった日本に生きている我々はもっと恩恵を自覚して喜んで高齢化問題に取り組んでいきましょう。
このコラムを書いた医師
神戸徳洲会病院 新保 雅也